平清盛がもっとも可愛がった息娘が、平徳子。
藤原家が昔、天皇の外戚として権勢をふるったように
平清盛も息娘徳子を天皇の后にします。


▲建礼門院徳子(平徳子)像

のち、息娘と帝・高倉天皇の間にうまれた子を皇太子とし
高倉帝を退位させ、孫の安徳天皇を即位させます。

徳子、若くして夫・高倉天皇が鬼籍に入ると名を建礼門院とあらため
帝の母親(皇太后)として、権力をもつようになりました。

しかし、わが世の春は、決して長くありません。
平家打倒で立ち上がった源氏に、徳子(建礼門院)の実家平家は滅ぼされてしまいます。

戦渦の中、「もうこれまで」と、入水自殺を図った徳子でしたが
源氏の者に救い出され、平家攻めの責任者である義経の前に出されます。

しかし、敵の息娘にやさしかった義経。徳子は彼に特別な感情を
抱くようになります。


▲源義経 (史料) 

皇太后(前天皇の后)でありながら、平家攻めの責任者・源義経に
想いをよせ、募る切なさを彼に伝えた徳子。結果、恋仲になりました。

帝の妻であったご婦人と、交わりをもつことはご法度。
陛下の権威を失墜させる行為だとし、義経は朝廷に非難されます。

朝廷からの非難、あわせて軽率な行動が原因で、
源氏のトップである兄・源頼朝からも、疎まれるようになります。

こうして義経は、奥州藤原氏をたよって、みちのくに
追われることになるのでした。

義経追討の背景には、人気者の弟義経を恨む兄頼朝の
嫉妬があったと言われますが、実は朝廷の怒りが裏にあったわけです。

以上

日本の歴史 (清盛の息娘・徳子と義経の蜜月関係)


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