「コックリさん」
わたしが小学生だった昭和の終わり頃、それは児童の遊びでした。

しかし、わたしが昭和の遊びだと思いこんでいた
占い「コックリさん」は、明治時代に流行した占いです。

過日、NHKで偉人 井上円了が特集されていました。哲学者である円了は、明治の偉人で、哲学館(現在の東洋大学)の創立者です。

井上円了は語ります。「この時代(明治)になってもいまだ
裏づけの不確かな迷信が、市民を惑わしている。」


「根拠のあやふやな占星術(ex.コックリさん)の結果を重んじ別れる夫婦。
また、占いや幽霊を利用した霊感商法が社会問題化している。」

「人々が気にする迷信や妖怪・霊というものの正体を
突き止めてみる必要がある。」

こうして彼は、怪事件の裏に潜む、真相を追究したのです。

結果、コックリさんは外国人が日本の港場で行っていたターニングテーブル(西洋式占いの一種)が起因であると着きとめ、信じるに値しない迷信であるとし、また、狐火や火の玉の類も、人間のこころが作り出した「勘違い」であると、結論付けました。

科学的な根拠を裏づけに、リサーチを進めた円了。だいたいは、人間の弱気心が産んだ、悪しき幻だったわけです。

井上円了は言います。

「この世にあると言われる妖怪や奇怪など、
そのほとんどは人間がつくりだしたものだ」

「自分の頭で考え、ものごとの本質にせまれば
真に怪しいことなど、実は少ない」

「しかし、その少ない、
本当に怪しいなにかは存在する。それは真怪である」

「真怪とは、川を流れる一滴のしずくや、
ありふれた自然、そのようなものである」と。

「なるほど」と共感し、感動したわたし。

私たちが畏怖する対象、恐れ慄くその大半-超人的存在-は、解読可能であると感動し、邪心や妬み弱みが、人を惑わし狼狽させるものだと再認識し、井上円了ストーリーを見終わったあと、なぜか心が弾んだのでした。


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