「親も齢だし、たまには親孝行しなくちゃね」
成人し、いい齢ともなると、親のありがたさを感じ
”たまには”と孝行したり、孝行の真似事をしたくなるのが
日本人ではないでしょうか。
これは、5世紀百済(朝鮮半島)から輸入された
儒教の精神が、根本にあります。
その根本の中核をなすのが、
最重要ポイント「孝の精神(ex.親孝行)」です。
その孝を軸とした儒教が、武士道へと発展し、
日本人の行動規範として、現代に残っているのです。
ただ、日本の歴史上において、孝に反する行為を
強いられた哀愁の武将がいます。源義朝です。
彼は、鎌倉幕府をひらいた源頼朝の実父になるのですが
保元の乱で、平清盛らと共に戦い勝利しました。
しかし、その後、上司である白河法皇の命により
敵方に与した父親・源為義を処刑したのです。
親子や兄弟間での殺しあいが少なくなかった
日本史において実の子が、父親を処刑した事例はありません。
それは儒教の根本、孝の精神に反するからです。
しかし、主命により、父を処刑しなければならなかった源義朝
上役である白河法皇の指示に起因する処刑執行ですが
その後の日本人は、親殺しの息子を親不幸の罪人とは見なしませんでした。
義朝を神として祀ったのです。(義朝に対する世間の同情)
儒教の本場中国や朝鮮などでは、大悪人になったはずです。
ですから、日本の特異性は、そのあたりにあります。
人々の行動規範である儒教に神道がミックスされ、時代を経て醸成されました。それゆえ、他には例のないユニークな国が日本なのです。
中国文化圏の一部として、カテゴライズできないのが
日本およびJapaneseカルチャーだと言えるでしょう。